曹洞宗の本山は福井の永平寺と、鶴見の総持寺だ

曹洞宗の本山は福井の永平寺と、鶴見の総持寺だそうですが、どうして本山が二箇所...曹洞宗の本山は福井の永平寺と、鶴見の総持寺だそうですが、どうして本山が二箇所になっているのでしょうか。 永平寺は、寛元元年(1243年)曹洞宗の開祖・道元が44歳の時、今までいた山城国宇治(京都府宇治市)の興聖寺を弟子の詮慧(せんえ)にゆだねて越前(福井県)に移り、そして幕府御家人・波多野義重(はたのよししげ)が寄進した土地に大仏寺を建立しました。

これがのちの曹洞宗大本山永平寺となります。

 

総持寺は、始め諸嶽寺として石川県能登にあり、元亨元年(1321年)、道元から数えて4代目の瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)が54歳の時に、諸嶽山 総持寺として名称を変えて開いたお寺です。

明治31年(1898年)4月13日にお寺が大火に見舞われ、明治40年に今の横浜市鶴見区に移転してきました。

 

道元没後、弟子の懐弉(えじょう)は忠実に道元の教えを守ったが、その後の義介(ぎかい)は加賀・大乗寺(だいじょうじ)を拠点に祈祷・念仏・民間信仰を取り入れた呪術的な禅を興し、これが庶民に受け入れられ、衰退する永平寺とは対象的に繁栄しました。

義介の系統から瑩山紹瑾が出て能登総持寺を開き、曹洞宗を飛躍的に発展させました。

 

その後曹洞宗は保守的な永平寺派と革新的な総持寺派に分れ、両寺を本山として民衆の間に深く浸透していきました。